ツユモシラズ

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【ロー・ポジション】杜野凛世 のTRUE ENDに感涙したオタクの12000字超えの怪文書

はじめに

 お久しぶりです。ツユモです。

 

 ついこのあいだ年が明けたと思いきや、気づけばもう4月。

 暖かな日差しと小鳥のさえずりが春の訪れを告げる、そんな季節になって参りました。

 

 そして春といえば、なんといっても「出会いと別れ」の季節ですよね。

 外出自粛が叫ばれる今日この頃ですが、元から家に引きこもってばかりの私にも、つい先日「どエモい」出会いがございました。

 

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▲死人が出る可愛さですよこれは……

  そうです! 

 杜野凛世さん6枚目のPSSRカードとなる、

【ロー・ポジション】杜野 凛世 でございます!!

 

 

 凛世さんのPSSRガシャが発表されるといつも、私は大空に向かって

 

「「最高の出会いに感謝!!」」

 

と全裸で叫んでいるのですが、じつは今回ばかりは素直に喜べないのです…。

 

 というのも、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』(通称シャニマス)は3周年を迎え、このガシャ開催から約10日後にあたる4月1日からはなんと、SSR排出確率が通常の2倍の超お得なガシャが控えているのです。

 つまり、そんな年に一度しか無い周年ガシャに備えて少しでも多く石を温存しておきたいユーザーの気持ちも知らず、最悪に近いタイミングで凛世さんはひょっこり現れてしまったわけです。

 

 嗚呼、まるでプロデューサーと凛世のすれ違い続けるもどかしい関係性を反映したかのような、なんとも物語性のあるリリースタイミングですね…!!(やけくそ)

 

 

 ですが、思い出してみてください。

 冒頭にも申し上げた通り、春は「出会いの季節」でもある一方で、「別れの季節」でもあるのです。出会いがあるなら、必ず別れも訪れる……。

 

 きっと今私の目の前で果たすべき「別れ」とは、これまで長い時間をかけてTRUE ENDを回収することでこつこつと積み上げてきた「ジュエルとの決別」を意味するのでしょう。

こうした出会いや別れを幾度も経て、人は大人になっていくのかもしれません……。

 

 

ありがとう、アイドルマスターシャイニーカラーズ。

 

そして、

 

さよなら、周年用に貯めてた石たち─ (♪Dye the Sky)

 

 

♪限界なんて本当はそこにない(10連目)

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♪覆せ、塗り替えて(20連目)

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♪顕在せよ過去を超えてく光(30連目)

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♪この空を!?!?(40連目)

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♪染めるほど強く!!!!!!!

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♪Wow oh……(全裸で踊り狂う)

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(スー……ッ(息を吸い込む音))

 

 

 

 

 

「「最高の出会いに感謝!!」」

 

 

いや、あの、マジでほんとにありがとう…!!(大号泣)

 

 最近ガチャ運悪すぎて、いかにも沼りそうな前フリをしておいた割には、今回奇跡的に40連目で手に入れることができました…!

 

 そしてなんといっても、既にお読みの方はご存知かと思いますが、今回コミュがとにかく「やばい」です。

 

杜野凛世のTRUE ENDが、ほんとに杜野凛世のTRUE ENDでした…。

 

未見の方は何を言っているのかわからねーと思いますが、読んだ方なら確実に共感していただけるはずです。

 

まだ手に入れてない方も、今回のカードは恒常ですので、プレイし続けていればいつか手に入ります!! ぜひ!ぜひぜひ読んでくださいね!!!

 

さて、いろんな感情が溢れすぎてもはやブログを書けるような精神状態ではないのですが、そろそろ前置きもここまでにして、今回も自分なりの感想と考察をがんばって綴っていきたいと思います。

  

 

■今まで本ブログで書いたシャニマス関連の記事はこちら。

shirazu41.hatenablog.com

shirazu41.hatenablog.com

shirazu41.hatenablog.com

 

  

第1章 世界の境界と窓

 前回のPSSR【われにかへれ】の考察の際、「(凛世が)終わりを受け入れること」がテーマのコミュだと述べたが、今回も同様にコミュ全体を貫くテーマがあったとするなら、それは「(凛世とプロデューサーが)世界の境界を超えること」だったのではないだろうか。

 今回は、この「境界」もしくは「隔たり」というキーワードを軸に、順を追って各コミュを振り返っていきたい。

 

1、知らぬ顔

 最初のコミュは、休憩中にフードコートを訪れたプロデューサーが、高校の同級生2人と仲良さそうに会話する凛世の姿を見かける、というシチュエーションである。

 「知らぬ顔」というタイトル通り、ここではプロデューサー(≒ユーザー)も知らない、アイドルという世界の外側を生きる、杜野凛世という一人の人間の生の「放課後」が印象的に描かれている。

 

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▲凛世さんのご学友のお二人。かわいい。

 

 直接凛世自身が発したわけではないものの、冒頭に出てくる「やばい」「うざい」などのいかにも世俗的な語彙や、「親からのメールの内容がうっとうしい」という子供じみた反抗心を漂わせる会話は、普段我々が接する「凛世」という人物が持つイメージからあまりにもかけ離れており、プロデューサーが衝撃を受けたのも頷ける。

 

 また、友人二人が使う「もりちゃん」という耳馴染みのない呼称も、プロデューサー視点での、凛世に対する「新鮮さ」や「違和感」を強調する役割を果たしている。

 いうなれば、冒頭で描かれている彼女の姿は、プロデューサーや283プロダクションの皆、そして我々ユーザーがよく知る「凛世」とは別人の、ただの女子高生としての「もりちゃん」でしかない。

 

 そんな「もりちゃん」を見かけたプロデューサーは、その存在を強く気には留めつつも自ら介入しようとはせず、ただ黙って距離をとったまま、その世界を外側から眺める。

 もちろん、凛世のプライベートな時間を邪魔しないように、という一般的な配慮も含まれての行動ではあるだろうが、ここではそれ以上に、ある種の「後ろめたさ」がプロデューサーをそうさせたのではないだろうか。

 

 というのも、アイドルという枠の外にいる「もりちゃん」の姿が、生き生きと楽しげに映ってしまったからである。

 一緒にいる同級生二人は、「大和撫子」を体現したような凛世とは、価値観も口調も(おそらく置かれて居る環境も)真逆に近い存在でありながらも、凛世のことを深く愛していることがこの短いやりとりから伝わるうえ、凛世自身もそんな二人に対して完全には同調しないまでも、決して自分を押し込めることなく自然体で振る舞う。

 

 そんな「もりちゃん」を見たプロデューサーは、無意識にこれまで自分の目に映ってきた凛世の姿を想起したはずである。

 水族館に置き去りにしたり、屋上に置き去りにしたり、知らず知らずのうちに海岸に失踪するまで追い詰めてしまったり、旅行先で機嫌を損ね不貞寝させてしまったり…。

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▲置いてけぼりんぜ①

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▲置いてけぼりんぜ②

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▲胸が痛がりんぜ

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▲部屋にこもりんぜ

 すべてプロデューサーなりの考えや事情があったこととはいえ、凛世はアイドルではなく「もりちゃん」として生きるべきだったのではないか、という想いが少なからず生まれていたはずである。

 普段ならアイドルとのコミュニケーションを拒否するような姿勢を決してとらないプロデューサーが、凛世が席を立ちプロデューサーのいる方向へ来た際に、「来ちゃったな…… 声、かけるしか───」と、間接的に彼女との「関わり」を拒否するような消極的な思考になっているのがその証拠である。

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 タイトルの「知らぬ顔」とは、「もりちゃん」としての凛世だけでなく、プロデューサーの「ぐちゃぐちゃに引き裂かれた」新たな側面が引きずり出されたことも意味しているのだろう。

 

 まとめると、「もりちゃん」としてアイドルではない「子供の世界」を生きる凛世を、アイドル業界という「大人の世界」を生きるプロデューサーが複雑な心境で「境界」の外から傍観する、というのがこのコミュの構造であった。

 

2、芽ぐむ頃

 一方、2つ目のコミュは、最初のコミュとは打って変わって、取引先相手にプロデューサーや凛世がお酌を迫られる、という「大人の世界」に重きを置いた状況になっている。

 いつもは若い女性アイドルと本音で言葉を交わすことの多いプロデューサーが、ここでは取引先の中年男性に対してご機嫌とりをするという、普段とは真逆の「知らぬ顔」を見せており、先ほどとは反対に「見る側」に回った凛世はその様子をぎこちなく傍観することしかできない。

 

 そして、その後二人が向かったファミレスの場面では、凛世は自分の至らなさゆえにプロデューサーに不快な思いをさせてしまったことを反省する。

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▲修養が足りんぜ

 いうまでもないが、相手の「知らぬ顔」を見てしまったことによって、何らかの負い目を感じ、相手の領域に立ち入ることができずただただ傍観するしかない、という構造は、1つ目のコミュと共通しており、「見る側」「見られる側」だけが逆転した対比になっている。

 

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▲今回の思い出アピールは、「映すもの」「映るもの」

 ただここで一つ注意しておきたいのは、「プロデューサーの世界=大人の世界ではない」という事実が新たに明かされる点である。

 

 プロデューサーは大人(=社会人)として、まだ子供である凛世を庇いながら、世渡り上手な振る舞いを見せてはいるものの、実際は「迷ってばっか」で「わからないことだらけ」だと、初めて凛世の前でその心情を吐露する。

 「大人の世界」とは、より単純に「社会」や「世間」と言い換えても良いかもしれないが、プロデューサー自身もまた、表面上は社会と上手く折り合いをつけつつも、完全には社会に対して溶け込むことができていない、成長途上の人間であることが印象付けられているのである。

 

 ここで、「大人って、不思議だよな」「(凛世が大人になるのは)俺より先かもしれない」といった、「大人の世界」を俯瞰し、自分がまだその世界に迎合できていないことを示す言葉が用いられていることに着目すると、凛世の世界とプロデューサーの世界の外側には、さらに「社会」という、まだまだ大人になりきれていない彼らには大きすぎるほどの「第3の世界」が広がっていることがわかる。 

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 余談だが、1つ目の『知らぬ顔』のフードコート、2つ目の『芽ぐむ頃』の居酒屋での会話を「音」に着目して聴き返すと、二人の外側にある「社会」の存在を強調するような、周囲の「雑踏」がBGMとして効果的に使われている。

 

 また、『芽ぐむ頃』の最後で凛世は、「なりたいです……大人に…… プロデューサーさまよりも……早く……」という意志を示すが、ここでの「大人になる」とは、自分たちの外側にある社会との境界線を越えることを指すと言えるだろう。

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▲GRAD編の「自分の欲を出す」という成長を踏まえつつ、常咲の庭の「ただ付いて行きたい一羽の雛鳥も空を目指す」という歌詞もどこか彷彿とさせるような、良い言葉である(早口)

 

3、春雪

 こちらは、「雑踏」が印象的だった前二つのコミュから一変、春の早朝の張り詰めた空気を彷彿とさせる「静閑」が特徴的なコミュである。

 仕事のため、夜が明ける前から車を走らせ、凛世の暮らす寮へと迎えに行くプロデューサー側の視点と、そのプロデューサーを温かい味噌汁を作って一人待つ凛世側の視点が交互に描かれるのだが、互いが相手を想い合う様子が、最低限の描写で美しく、かつ情緒たっぷりに記されている。

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 本コミュ終盤、「寮」という凛世のプライベートな領域に、プロデューサーが踏み込んでいく描写が象徴的だが、このコミュを境にして、これまで互いの世界を外側から眺めるだけだった二人が、互いを強く想い合うことで「境界」を超え、相手の世界に踏み込んでいく姿が描かれていく。

 

 ここで着目したいのが、背景に出てくる「窓」である。1つ目のコミュの冒頭からたびたび登場している「窓」は、「凛世の世界」と「プロデューサーの世界」、そして彼らと「外の世界」を隔てている、「境界線」を視覚化する機能をもつのではないかと私は解釈している。

 『知らぬ顔』において、凛世を含む高校生たちの会話を、離れたところからプロデューサーが観察する場面や、続く『芽ぐむ頃』において、凛世が「知らぬ顔」を見せるプロデューサーをただ見つめることしかできない場面では、互いが「見る」「見られる」だけの関係になっていることを象徴するかのように、「窓」が何度も背景に映りこむ。

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▲『知らぬ顔』より

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▲『芽ぐむ頃』より

 すなわち、【ロー・ポジション】における「窓」とは、世界と世界を隔て、互いの干渉を一切拒絶してしまう排他的な「境界」なのである。

 

 しかしながら、唯一この窓という境界を超え、向こう側の世界に入り込めるものが存在する。それが「光」である。

 「春雪」では、プロデューサーが寮という「凛世の世界」を象徴した空間に入り込むと同時に、窓からまっしろな朝日が差し込んでくる。

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 ここでいう「光」とは、「境界の外にいる相手を想い、愛する感情」や、それに付随して自発的にとる「相手のための行動」を意味する。

 先ほどのコミュ「芽ぐむ頃」において、取引先にお酌を強要される凛世を守ろうとプロデューサーが声をあげた瞬間、真っ暗だった背景にパッと電灯の光が灯る演出も、プロデューサーの「光」が凛世の心に届いたことを示しているのではないだろうか。

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 『芽ぐむ頃』では、プロデューサーが社会の圧に押されながら、なんとか凛世を守ろうと灯した小さな「光」だったが、『春雪』では完全に第三者が存在しない二人だけの世界が描かれ、プロデューサーだけでなく、凛世もまた「味噌汁を用意して待つ」という行為によって相手の世界に「光」を送る。

 その眩しい光はやがて別々だった二人の世界の境界を見えなくしていき、一つの大きな「明るい部屋」が生まれる。

 そしてそのようにして互いが送り合う、あまりにも大きく尊い光は、相手の世界や心だけでなく、「天」という「第3の世界」をも照らし、まっしろに染め上げていく。

 そんな春の奇跡を描いたのが『春雪』というコミュなのであろう。

 

4、濡れて参ろう

 続く4つ目のコミュでは、「春雪」で描かれたような、暖かい光に満ちた凛世とプロデューサー二人だけの「内の世界」の対比として、「外の世界」の存在が印象的に描かれている。

 

 ここでは、冒頭の雨が降りしきる薄暗い空の描写や、凛世の読む小説の「血で血を洗う倒幕運動」の時代背景など、「外の世界」が個人の想いではどうにもならないほど冷たく恐ろしく暗い世界であるということが強調される。

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 また、これまでを振り返ってみても、「親のメッセージをウザがる学生たち」「夜の酒の席でお酌を強要する取引先」「息も凍るほど冷たく真っ暗な早朝」のように、【ロー・ポジション】において「外の世界」(=社会)は決して明るく幸せなものとしては描かれていない。

 『芽ぐむ頃』の後半で見たように、そんな「外の世界」に怯え、一歩離れたところから「窓」を通して眺めることしかできない(=大人になりきれない)存在が凛世であり、プロデューサーなのである。

 

 一方、凛世とプロデューサーのいる「内の世界」に着目してみたい。「濡れて参ろう」で描かれる、突然雨に降られて大事な仕事の案件を確認できない状態(=プロデューサーという肩書きを失った状態)にあるプロデューサーのそわそわと落ち着かない姿や、『今月のイチオシ小説コーナー』にある時代小説を読む凛世の姿は、1、2つ目のコミュで描かれたのと同様に、互いの「知らぬ顔」だと言えるだろう。

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 ただしこれまでと大きく違うのは、互いの間に隔たりとして存在していた「窓」が無くなり、積極的に相手の領域に踏み込む姿が描かれていることである。

 凛世はプロデューサーの落ち着かない様子にすぐ気がつくと、雨の中でも車に戻ろうと提案し、反対にプロデューサーは凛世を気遣って雨宿りを続けると同時に、彼女の読む本(=凛世の内的世界)に興味を示してそのあらすじを尋ねる。

 

 もはやこの場に「凛世の世界」と「プロデューサーの世界」の間を遮る境界は無く、二人の世界は一つの「あたたかい軒下」として一つに交わったことが改めてうかがえる。

 

 

 そんな「内」と「外」の対比があった一方で、本コミュの後半からは、二人のもっていた「外の世界」への恐怖や不安が薄らいでいく姿も描かれている。

 二人は「大事な人が斬ったり斬られたりする」世の中に理不尽さや悲しみを感じつつも、たとえそのような時代に生まれていたとしても再びめぐり会い、「凛世を守る仕事に就きたい」「プロデューサーの代わりにいっそ自分が斬られよう」と互いを守ることを宣言し合う。

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▲えんだああああああああいやあああああああ

 そうやって心を通わせるうちに、得体の知れない恐怖を帯びていたような「外の世界」に対して、「大丈夫」「春雨です」と明るい表情を見せるようになる。『春雪』において「ふつと力が湧いてくるまっしろな時間」という表現があったが、まさに互いの存在が、外に一歩踏み出すための勇気を与えているのである。

 そして最後に凛世は「濡れても構わない」「春雨じゃ 濡れて参ろう」「濡れてまいりましょう」という、「内の世界」の殻を破り「外の世界」を目指す決意を垣間見せる。

 その心境の変化に呼応するように、これまで暗く雨が降りしきっていた空から、大きな窓を通して光が差し込んでくる。

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 まとめると、一人ひとりでは「大人」になりきれなかった二人が「あたたかい軒先」という空間を共有しあい、隣に並び立つことで、少しずつ芽ぐんでいくような兆しを感じさせる物語がここで描かれているといえよう。

 

5、TRUE END「木に花咲き」

 そして最後にTRUE ENDで描かれるのが、「光」を届け合い、背中を優しく押し合うことで「外の世界」との邂逅を果たす二人の姿である。

 

 冒頭、車でレッスン場へと移動中の二人は、「窓」の外にいる凛世の同級生を発見する。1つ目の「知らぬ顔」に近い状況ではあるが、今度は遠くから眺めるだけでなく、プロデューサーの方から自分の感じている「負い目」を打ち明け、凛世の世界に積極的に介入していこうとするのは特筆すべき変化である。

 

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▲Pが凛世の心に踏み込んだ瞬間、画面上下の黒帯(窓枠)が無くなる演出が入る

 

 ここでプロデューサーは、凛世から「女子高生・もりちゃん」として生きるという「当然の未来」を奪い、「アイドル・杜野凛世」として自分の世界に引き入れてしまったことを遠まわしに懺悔する。

 

 それに対し凛世は、ただプロデューサーの傍にいられることがただただ幸せで、そんな幸福という「光」が、「女子高生・もりちゃん」としての自分と、「アイドル・杜野凛世」としての間の境界(=窓)を取り払ってくれるのだと告げる。

 

 そしてそんな凛世の優しい言葉が、今度はプロデューサーの心をまっしろな光で覆い尽くす。

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▲天も心もまっしろな時間

 

 そして「プロデューサーとしての自分」と「プロデューサーではない素の自分」の境界が取り払われたプロデューサーは、凛世に対しクレープを食べに行こうと提案する。

 『知らぬ顔』では「偶然」、『濡れて参ろう』では「雨」という外的要因によって強制的に露わにすることになった「プロデューサーではない姿」を、今度は凛世の言葉によって感化され、自発的に見せているのである。

 

 先ほどのコミュ「濡れて参ろう」で見られた変化と同様に、二人の世界が互いに送り合う「光」は、ふつと湧いてくるような力を与え、「外の世界」への不安が無意識に生み出す「境界」をも無くしていく。

 これまで「光」しか通さなかった「窓」のイメージが、「風」や「音」も行き交うことができる「金網」へと変している光景がそれを端的に表しているのではないだろうか。

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「窓」から「金網」への変化

 プロデューサーの提案を聞いた凛世が「やばい」という、1つ目のコミュで「外の世界」の象徴のように使われていた語彙で反応するのも、凛世という人間と「外の世界」との境界が、この瞬間失われたことを示唆している。

 

 そして最後に二人は車という閉じられた世界から降り、「窓」を通すことのない眩しく美しい空模様が映って終わる光景は、二人の中にこれまであった世界の「境界」がなくなる、すなわち子供だった二人が「芽ぶく頃」を超え、「木に花咲き」つつあることを示しているはずである。

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6、 「ロー・ポジション」が持つ意味

 さて、ここまで物語を一通り振り返ってきたところで、今回のタイトルである「ロー・ポジション」が持つ意味についても考察してみたい。

 そもそも「ロー・ポジション」とは、主にカメラ撮影の際に用いられる用語で、一般的な人間の目線よりも低く、地面から近い位置でシャッターを切ることで臨場感を生む手法を指すようである。

 

 ちなみに、【ロー・ポジション】の約10日後に実装されたばかりの櫻木真乃PSSR【花風Smiley】の『カメラレッスン』には、こんなやりとりがある。

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 写真を上手く撮れないことを思い悩む真乃に対し、プロデューサーが『目線を意識してみる』ことを助言する場面の台詞だが、まさに「ロー・ポジション」で撮影した際の効果について語られているのである。

 「写ってる景色が大きく壮大に見えたり」「こびとになったみたいな気が」するとここでは説明されているが、カメラを通して見た対象物が実際のサイズ以上に大きく、迫力が増して見えるのが「ロー・ポジション」という手法の特徴といえよう。

 

 そして、長年シャニマスをプレイしてきた読者の皆様ならお分かりいただけると思うが、「カメラ」といえば、これまでの杜野凛世のコミュに頻繁に登場してきた要素の一つである。前回のPSSR【われにかへれ】において、プロデューサーとの幸せな時間を形にして残しておきたい凛世と、自身の姿をアイドルの携帯に残しておきたくないプロデューサーのすれ違いが、凛世の心を深く傷つけたことも印象的である。

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▲【われにかへれ】『夏雲だけを覚えてゐる』より

 ある意味カメラとは、凛世が自身の外側にある世界を観察し、あらゆる対象と向き合うための「目」としての機能を持ったアイテムなのである。

 

 今回のコミュで、凛世とプロデューサーが怯えていた、あまりにも大きく恐ろしい「窓」の向こうに広がる世界のイメージは、「ロー・ポジション」という撮影手法を取ることによって、自身がまるで小人になったかと思うほどの存在感を得た被写体のイメージと繋がる。

 「外の世界」が恐ろしく見えるのは、カメラのレンズという名の小さな「窓」から覗くことで実際以上に巨大に映るためであり、一度「窓」という境界を取り払ってしまえば、何ら恐れることはない等身大の世界である。凛世とプロデューサーの二人が、互いに隣同士にいることでその事実に気づき、「窓」ではなく自らのありのままの目で外へ踏み出す、という変化がこのコミュの主題なのである。

 

 やや先ほどの繰り返しになるが、この変化が最もわかりやすく示されたのが、4つ目のコミュ『濡れて参ろう』であろう。「雨も冷たいから、ここにいよう」と怯えていた冒頭から、後半からは「こんな雨くらいで往生してるの、ちょっと恥ずかしいな」「大丈夫…… 春雨です…… 濡れて……まいりましょう……」と強気になったり、時代小説の中の男女に待ち受ける(悲しい)未来を「知らなくてかまいません」と言い放ったりと、世界に対する恐怖は二人から無くなっていることが読み取れる。

 この心境の変化は、たとえこの先どんな悲しく辛い現実が待ち受けていようとも、「プロデューサーと一緒なら(凛世と一緒なら)乗り越えられる」、そう二人が思えるようになったことの表れであろう。

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 このように、タイトルの「ロー・ポジション」には、レンズ(=「窓」)から覗いた世界と、「窓」を外してありのまま見つめた世界のギャップを示唆する意味が込められていたのではないだろうか。

 

第2章 世界はそれを「愛」と呼ぶのか

 ここまで【ロー・ポジション】では、凛世とプロデューサーが互いの境界線を超え、距離が縮まっていく変化が描かれていると私自身述べてきたように、今回のコミュを通して、凛世の秘めた恋が一つ成就に近づいたと喜ぶ声もネット上では多く見かける。

 確かに、実質「告白」のようにも取れる台詞も多く出てきて、作品世界に浸っていると思わず内なる「をとめ心」がときめいてしまう本作だが、ここであえて冷静になって、今回のコミュで描かれたのが、男女の恋愛的な意味での「愛」だったのか考えてみたいと思う。

 

 結論から述べると、これまで私が書いてきたブログ記事を読んでくださった方にはすでにおわかりだろうが、今回も恋愛的な意味で二人の距離は縮まっていない、と主張したいのである。(別に特殊な性癖を持っているわけではないのですが、今のところ私は「凛世の恋は成就しない論」の提唱者なので、こういった論調を不快に思われる方はブラウザバックを推奨いたします……)

 

 GRAD編の考察時に、杜野凛世からプロデューサーに対して抱く感情は、ほかのアイドルとは逆に、男女の恋愛的な意味での「愛」から、人間としての「信頼」へと変わっていくだろうと考察したが、今回のコミュはその推測に近い答えが少しだけ提示されたように私には思える。

 

 そもそも凛世がプロデューサーが惚れ込んだきっかけを振り返ると、自分よりも「大人」で、広い未知の世界へと導いてくれる異性に、街中で偶然声をかけられたことである(詳しくは、本ブログのGRAD編考察記事の第3章を見ていただきたい)。

 WING編冒頭『運命の出会い』で、鼻緒が切れて困っている凛世を颯爽と助けてあげたのち、「最高の舞台に連れていってみせる」と宣言するプロデューサーに対して、凛世が「これからは一生、貴方さまに、ついて参ります」と返事していることからもわかるが、凛世のなかに恋愛感情が芽生えた根幹には、「プロデューサー=主、凛世=従」という関係性が前提にあったように思われる。

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▲一生に一度でいいから言われてみたい台詞

 

 一方、今回の『濡れて参ろう』における以下のやりとりは、二人の関係性や想いが確実に変化しつつあることを示唆している。

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 「たとえ戦乱の世の中に生まれても、凛世を守ろう」と宣言するプロデューサーに対し、凛世は「ありがとう」や「嬉しい」といった受け身の言葉ではなく、「(プロデューサーが命がけで戦うくらいなら)いっそ自分が斬られてまいります」と本心から応える。凛世はこのとき、そのほうが「その方が……よほどあたたかです……」と続けているが、もはや出会ったばかりの頃のように、プロデューサーが守り、凛世が守られるという関係性は終わり、二人が隣に並んで歩いていける存在になったことがこのやりとりから伺える。

 

 さらに言えば、このあと「(外には出ず)もうちょっと待ってようか」と提案するのが凛世ではなくプロデューサーの方であったり、『芽ぐむ頃』の「(凛世が大人になるのは)俺より先かもしれない」という言葉から察するに、むしろ凛世が導く側の「主」に逆転しつつあると言っても過言ではないのかもしれない。

 凛世はGRAD編を一つの転換点として、ただ導かれるだけの存在から、「濡れてもかまわない」(=外の世界に出て行きたい)という自発的な欲が確実に芽生えるようになってきている。一方で、その欲をすぐに実行に移すまでには至っておらず、まだしばらくの間は、プロデューサーに「守ってもらう」ことを心地よく受け入れている状態と言えるだろう。

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 もちろん、ここまで凛世の心境を変えたのは、プロデューサーのおかげであることは言うまでもないが、ここでの「ん?」という発言を見るに、プロデューサー側は凛世のこの変化に真に気づいてはいないのではないだろうか。あくまで予測なうえに、少し穿った見方にはなってしまうが、これまで凛世を成長に導いてきたプロデューサーの存在が、むしろこれからの凛世の「大人」への成長を妨げる可能性を示すエピソードが来てもおかしくないかもしれない……。

 

 また、今回本ブログにおいて特筆しておきたい描写が、『知らぬ顔』において出てきた「ケチャップのついた口元」である。

 以前、【われにかへれ】の考察記事の第2章で、「赤」は、凛世がプロデューサーのことを、仕事上のパートナーとしてではなく、一人の異性として強く意識する際に現れる色だと私は述べた。

 そして、直近の凛世のコミュでは、プロデューサーの前で凛世が口元を赤く染める描写があることも指摘したが、【十二月短篇】の口紅、【われにかへれ】のイチゴ味のかき氷に引き続き、今回の【ロー・ポジション】でも、ケチャップによって同じ描写が登場している。(これは自分でも正直かなり驚いた…)

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 しかしこれまでと決定的に異なるのは、凛世がプロデューサーにその「赤」を拭ってもらう描写があることである。

 「びっくりマークみたいに赤い」ケチャップをプロデューサー自身が拭うこの描写は、凛世がこれから「をとめ」的な恋愛感情から脱却し、「盲目」になる前のありのままの目で、プロデューサーと向き合っていくこれからの未来の示唆なのかもしれない。

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 もちろん、『明るい部屋』第2話での脳破壊描写が記憶に新しいように、まだまだ凛世の「をとめ」としての恋愛感情は消えたわけではない。また、仮に完全に恋愛感情から脱却したとしても、ベクトルが少し変わるだけで、プロデューサーへの想いの強さ自体は決して変わらないはずだ。異性や想い人の後ろについていくのではなく、共に支え合うかけがえのない人間同士として歩んで行く、祝福すべき成長といえるのは間違いない。

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▲問題の脳破壊シーン

 たとえどんな形であれ、凛世のこれからの未来が明るいものであることを祈りつつ、ひとまずこの考察を終えたいと思う。

 

おわりに

 ふぃ~。ここまで一万二千文字以上にわたって【ロー・ポジション】に自分なりの解釈を加えてきました。(執筆に2週間かかったうえに、図らずも過去最も長い記事になってしまいました……)

 ここまで読んでくださった方がいらっしゃるかはわかりませんが、もしいるとするなら最大級の感謝を示したいです。本当にありがとうございます!!

 

 偉そうにいろいろと語ってきましたが、解釈はもちろん人それぞれです。第2章は特に賛否両論ありそうだなーと思いつつ、夏葉さんもこうおっしゃっているように、そもそも「愛」や「恋」というものを、他人が語ること自体おこがましいのかもしれませんね……。

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 それにしても、今回の【ロー・ポジション】を読んで、シャニマスは本当にすごいゲームだと改めて感じました。「野球凛世かわいい~~!!」と直感だけで楽しめるのはもちろん、このように長い時間をかけて長文の怪文書を書くこともできる、素晴らしいコンテンツですね。

 新アイドルもどんどん加入し、賑やかになってきた『アイドルマスターシャイニーカラーズ』の未来に、これからも期待しております!!