ツユモシラズ

世間のことなど露も知らずに生きる、井の中のオタクのブログ。コメント等、お気軽にどうぞ。     https://twitter.com/shirazu41

【シャニマス】杜野凛世GRAD編で奥歯砕け散ったオタクの怪文書

はじめに

 お久しぶりです。ツユモです。

 突然ですが私、去年の夏くらいからアイドルマスター シャイニーカラーズというゲームにハマっております。

 知らない方(はこんな記事読まないと思いますが念)のために説明すると、プレイヤーがプロデューサーになりきって、可愛い2次元の美少女たちとコミュニケーションをとりながら、最高のアイドルを育成する、という感じのゲームです。

 「シャニマス」は数あるアイドルマスターシリーズの中でも特にシナリオ面での評価が高く、「チエルアルコおじさん」「Not Equalおじさん」など、数々の考察大好きオタクたちに、怪文書を生み出させてきた実績があります。

 基本プレイ無料かつ、スマホでもブラウザでもできるので、興味ある方は下のリンクからぜひ。思ったより沼が深いので、覚悟してプレイしてください(暇だったら今度また別途、布教記事書きます)

shinycolors.idolmaster.jp

 

 先日、そのシャニマスに、WING編・感謝祭編に続く、GRAD編という名の新たなシナリオが追加されました。

 さっそく、私の担当アイドルである杜野凛世さんでプレイしてみたので、今回はその考察および感想を書きたいと思います。

f:id:shirazu41:20200517170602p:plain

▲杜野凛世(以下、敬称略)

 正直なところ、プレイ後の率直な感想としては、感情が溢れてきすぎて、「エモい!」「映画化決定!」「シナリオライターノーベル文学賞授与しろ!」くらいしか浮かんできませんでした。そのくらい素晴らしいシナリオだったんです。ただ今回は、世にはびこる怪文書おじさんたちを見習って、もうちょっとだけ頑張って言語化してみようと思います! 怪文書を書くのは初めてなので、お見苦しいところも多々あるとは思いますが、ぜひ最後までおつきあい頂けるとありがたいです。(お気軽にコメントください)

 

※ここから雑念を排除するため、ですます調をやめます!

 

 

第1章 杜野凛世という特異点

 まず本題のGRAD編の考察に入る前に、杜野凛世というキャラクターの「異常性」について解説しておきたい。

 冒頭で説明したように、そもそもシャニマスというゲームの最大の売りとは、「アイドルを目指す美少女とコミュニケーションをとり、親睦を深めていくこと」である。より具体的に言えば、「プロデューサーとアイドルという仕事の上での信頼関係」が、「一組の男女の恋愛関係」に少しずつ近づいていく過程を楽しむ、一種の恋愛ゲームなのである。

 

 ただここで注意しておきたいのは、「男女の恋愛関係に『近づく』」という表現である。あくまで「近づく」だけで、恋愛関係に「なる」ことは絶対にない。たとえアイドル側がプロデューサーに対して、「信頼」という言葉では説明のつかないほど超好意的素振りを見せたとしても、それは一応「匂わせ」の範疇に収まる行動である。アイドルは決して、告白やプロポーズ、ボディタッチのような露骨すぎる言動は取らないし、プロデューサー側もアイドルの「恋愛感情」には絶対に気づかない(もしくは気づいていないように振る舞う)のがこのゲームの暗黙の了解なのである。

 もちろんここには、「プロデューサーが誰か一人のアイドルを選んで付き合ってしまったら、アイドルコンテンツとしての前提が破綻してしまい、サービスができなくなる」というゲーム製作陣側のメタ的な理由も含まれているだろう。

 

 しかし、杜野凛世というキャラクターに関しては例外中の例外である。他のアイドルが一生懸命に擬似的・婉曲的な愛情表現をして少しずつプロデューサーとの距離を縮めていく中、彼女だけはどストレートにプロデューサーへの愛を口にしてしまうのである。簡単に言えば、「プロデューサーさま大好き人間」なのである。

 凛世にこのような超法規的発言が許されているのは、彼女のもつ独特の人間性のおかげである。服装からもわかるとおり、古風かつ雅な世界を生きる彼女の価値観や言動は、一般的な同年代の少女とはズレたものが多い。そのため彼女の愛情表現が、プロデューサーを含む他者からは、どういったニュアンスのものなのか、またどこまで本気にすべきものなのかが完全には把握できない。(唯一、彼女のモノローグを見られるプレイヤーのみ、凛世が抱いている感情が「愛」にほかならず、かつそれが超巨大感情であることを知ることができる。)

 さらに、凛世自身は異常なまでに献身的かつ控えめな性格をしているため、自身の愛情表現に対してプロデューサーが応えることを一切要求しない。それどころか「プロデューサーさまに……見ていただける……それだけで…」などと言ってしまうのである。

 要するに、凛世だけは、他のアイドルがこれからプロデューサーと構築していく関係性の、最終到達地点に始めからいるのである。

 WING編では、そんな「プロデューサーにしか愛情を注げない純粋乙女だった凛世」が、仕事を通して「ファンに対しても同じくらい大きな愛を抱くことのできるアイドル」へと成長していく様が描かれている。図式化すると、以下の通りである。

f:id:shirazu41:20200517172025p:plain

▲杜野凛世 WING編の流れ

 もちろんこれは、少しずつ相手に心を開いていき、「信頼→愛情」という道筋を辿る、その他大勢のアイドルとは全く異なるストーリーとなっている。

 

第2章 GRAD編がもつ意味

 第1章で確認したように、感動的な成長物語であるWING編は、完成度としては非常に高いコミュであることは間違いない。しかし一方で、この結末は見方を変えれば、凛世の中に「プロデューサーを想う少女」と、「ファンを想うアイドル」という背反する二つの人格が生まれてしまったとも捉えられる。

 そして今回実装されたGRAD編では、この「2つの人格の狭間で苦悩する凛世」が真正面から描かれているのだ。

 まずGRAD編には、切り分けられた人格を可視化する装置として、凛世がドラマで二つの役柄を演じる、という特殊なシチュエーションが用意されている。ドラマの簡単なあらすじは以下の通り。

 

 ①身寄りのない少女を下働きとして拾った博士。二人は徐々に親睦を深めていく。

 ②博士が舞踏会に出かける夜など、一人家に残される少女は、彼を想って「会いたい」と呟くようになる。

 ③ある晩、舞踏会から戻ってきていた博士は、偶然少女の「会いたい」という呟きを耳にする。

 ④少女が自分以外の誰かを想っているのだと勘違いした博士は嫉妬に狂い、超技術で少女から「あ」以外の言葉を奪ってしまう。

 ⑤その後博士は、超技術で博士の想いを裏切らないようプログラムされた、少女(=少女α)と全く同じ外見のAI(=少女β)を製作し、さらに超技術で少女αから奪った「あ」以外の言葉をβに移植する。

 ⑥屋敷の外で生活するようになった少女αは、博士の傍で暮らす少女βを羨み、反対に、博士が本当に愛しているのは少女αだと知っている少女βは、少女αを羨む。

 ⑦長い時が経ち、少女αは死去。博士も天に召されようとする中、少女βが博士に最後にかけた「ーいたい」という言葉のあたまの一音は、限りなく「あ」に近い響きを残した。

f:id:shirazu41:20200517172657p:plain

▲少女α(右)と少女β(左)

 言うまでもなく、博士を想いながらも言葉を奪われ、「あ」しか発することができなくなった少女αとは、プロデューサーを恋い慕う「一人の少女としての凛世」のメタファーである。一方、「あ」以外の言葉を持ち、博士の傍にはいられるものの、本当の愛を与えられることは永遠にない少女βとは、「アイドルとしての凛世」を表している。

 これはシナリオ内で、プロデューサーの前では少女αの、ダンストレーナーの前では少女βの演技練習をするというシーンがあることからも伺える。余談だが、少女βがAIだから人間と違って老衰しないことを強調する結末も、アイドルが血の通った人間ではなく、コンテンツとして半永久的に消費される存在だということを表しているようである。

f:id:shirazu41:20200517172923p:plain

▲WING編とGRAD編の関係性

 このドラマで特に注目したいのは、少女α、少女βともに、不完全でかわいそうな存在として描かれていることである。これは、自分の人格を「少女α」と「少女β」に切り分けることを「成長」とみなしたWING編を否定するメッセージにほかならない。

 そして実際、WING編のハッピーエンドがその場しのぎの見せかけに過ぎなかったことがGRAD編では強調されていく。「恋する少女としての凛世」の想いはプロデューサーに届かない(もっと言えばアイドルマスターという枠組みがある以上今後永遠に届くことはない)上に、 αとβに分裂させた影響で、「アイドルとしての凛世」もまた不完全なものになってしまったことが明示される。

 

 より具体的に言うと、作中でダンストレーナーは、「あ」を持たない少女βである「アイドルとしての凛世」について、「パッション」「エモーション」「表現したいっていう欲」が感じられないと述べる。「アイドル」という役割をきちんと演じられるからこそプロデューサーの傍にいることができると理解している凛世は、動揺し苦悩する。

 

 「あ」が欠けていることを突きつきけられた凛世には、「(あ)なたさまに(あ)いたい」という欲を上手く言葉にすることができない。そしてそのまま海に向かった凛世は、プロデューサーに求めてもらうために「あ」を持った完璧なアイドルに必死でなろうとするものの、反対に純粋な少女としての、プロデューサーに「あいたい」という想いばかりが募り、「いたい」に変わってしまう

f:id:shirazu41:20200517173941p:plain

▲「会いたい」という想いが心の痛みに変わる(ここ考えた人天才すぎるだろ!!)

 その後、駆けつけたプロデューサーの「凛世には「あ」がないわけじゃない。出すのをためらわず、もっとわがままになっていい」という言葉を聞いた凛世は、やっと「あいたかった」と口にするのである。

f:id:shirazu41:20200517174805p:plain

▲『オマエさ、そんな顔すんの……反則』

 ここの解釈はすごく難しい。ネットにおける一般的な解釈としては、純粋にPラブ的な感情を露わにした、実質的な告白シーンのように捉えられているようだが、個人的には異議を唱えたい。むしろ凛世は、この「あいたかった」という言葉を口にしたとき、目の前のプロデューサーに対してのみ持っていた「あいたい」という気持ちが、「プロデューサーに会いに来て欲しい」すなわち、「人の心を動かしたい」という欲望の延長線上にあるものだと気づいたのではないだろうか。「あいたかった」のすぐ後に凛世は、「前に……進みたくて…………人の……心を動かしたくて…………」と言っているが、本当にプロデューサーのことしか頭にない告白なのだったら、「人」なんてプロデューサーをその他大勢と同一視するような言葉(しかも「少女」としての言葉ではなく、「アイドル」としての向上意欲を表した言葉)が直後に来ないと私は思う。

 ここまで図式化すると、以下の通りである。

f:id:shirazu41:20200517175131p:plain

▲GRAD編における凛世の変化

 目的はあっても手段のなかった少女αと、手段はあっても目的のなかった少女βがうまく交わり、きちんとアイドル活動においても目的(=自分の欲)を見出すことができたのである。

 アイドルとしての「あ」を認識することができた凛世は、また一回り成長できたと言えよう。最後に残った、「少女α」の「手段」(表の左下)については、依然として「あ」しか発することができない(=非常に限られた愛情表現しか取ることができない)ままではあるが、「あ」だけでも伝わるものがある、というのはGRAD編で何度も強調されたことである。プロデューサーも最後に、アイドルの「あ」に対して、「ちゃんと、耳を澄ませられる自分でありたい」という想いを示していることも大きな救いだろう。

 さらに、「全部揃っていなかったからこそ、自分の欲に気づくことができた」という形で、WING編で二人がたどり着いた結論も決して間違いじゃなかったことを確認し、物語は締めくくられる。

 

第3章 凛世がこれから目指すべき未来

 ここまでさんざん拙い考察や感想を垂れ流してきたが、この章からは特に、自分の個人的解釈と妄想が多分に含まれるのでご注意願いたい。

 GRAD編で大きな試練を乗り越えた凛世は、この先どのような未来を歩むのだろうか。

 その疑問を解決するにあたって、今の凛世の行動原理の根幹にあるプロデューサーへの感情について検討する必要がある。そもそも、どうして凛世はこれほどプロデューサーに惚れ込んでいるのだろうか。

 

二人の出会いは以下の通り。

 ①スカウトのため、街を歩くプロデューサー。

 ②そこでたまたま下駄の鼻緒が切れてしまい、しゃがみこむ凛世を見つける。

 ③本で読んだ知識を参考に、ハンカチを引き裂いて応急処置するプロデューサー。

 ④凛世の美人さと気品に気づいたプロデューサー、「俺が必ず最高の舞台に連れていってみせる」とスカウト。

 ⑤後日事務所を訪ねた凛世、「心を決めました。」「これからは一生、貴方さまに、ついて参ります。」とお返事。

 

 ここでの「一生ついていく」という発言や、このあとのコミュを見てもわかるが、凛世はスカウトされた時点でプロデューサーにかなり心奪われているように見える。

 だがはっきり言って、凛世がいくら狭い世界を生きて来た初心な少女で、プロデューサーが超絶イケメンスパダリだったとしても、たったこれだけのやりとりで惚れ込むのには無理がないだろうか。いや、一般的なゲームやアニメ、少女漫画だったらこの程度で惚れることにそこまで疑問は持たないかもしれない。より正確に言うと、凛世関連の考え尽くされたシナリオと、病的なまでに繊細な心情描写から考えると、本当にこれで「恋に落ちた」(このデフォルメされた表現も凛世コミュの世界観に合わない気がするが)とは私には思えないのである。

 

 ここで一つ思い出したいのが、凛世の少女漫画好き設である。良い家柄に生まれ、雅だが狭い世界を生きて来た凛世にとって、広く俗な世界を味わうことのできる唯一の窓口が少女漫画だったのだと察するのは容易である。多かれ少なかれ「もっと広い世界を自由に生きてみたい」という感情を抱いて生きてきた凛世の中で、その欲求がいつしか「誰かに恋をしたい」に変質しても不思議ではない。つまり、凛世はプロデューサーの愛を純粋に欲しているのではなく、新しい世界を知ること=誰かに恋することそのものを欲している状態なのではないだろうか。だからこそ、出会いの場面では、少女漫画さながらの「ある日突然、素敵な男性と運命的な出会いをして、恋に落ちる」という流れを無意識的に演じてしまったのである。(コミュタイトルも「運命の出会い」である)

f:id:shirazu41:20200517180044p:plain

▲少女漫画オタクの凛世(かわいい)

 また、正直なところ、凛世とプロデューサーが結ばれる未来があまり想像できない。むしろ人間的な相性としては、超仕事人間のストイックなプロデューサーは、夏葉あたりと結婚するほうが自然である。

 あまり考えたくないが、おそらくいつか恋に恋する年頃を過ぎた凛世も、ふと「どうして自分と全く共通点のないプロデューサーさまのことがこんなに好きなんだっけ」と思うはずである。そして、今抱えているプロデューサーへの巨大な愛は、自分に優しくしてくれて、知らない世界を教えてくれた恩人に対する「敬愛」であり、共に隣を歩んでいくパートナーへの「LOVE」とは違うものだと気づくはずである。

 すなわち、プロデューサーを恋い慕う少女αは消滅し、アイドルとしての少女βのみが残るのである。これはGRAD編のドラマの結末にも重なる。GRAD編における変化としても、「プロデューサーの心を動かしたい」という特定個人への恋心から、「人の心を動かしたい」という、より一般的な欲求に変わったことが読み取れる。

 少しGRAD編海岸での凛世の台詞を振り返ってみると、「あいたかった…」→「前に進みたくて……人の心を動かしたくて……」→「わからなくて……」→「あなたさまにあいたかった…」という流れになっている。

f:id:shirazu41:20200517180637p:plain

f:id:shirazu41:20200517180822p:plain

▲GRAD編 海岸の台詞

 一度、凛世の頭の中で、プロデューサーという存在が「世界で唯一のあなたさま」ではなく、「人」として一般化された(=恋が一瞬醒めた)あと、自分のプロデューサーへの気持ちが「わからなく」なって、再び「あなたさま」に戻ってくる。

 ここには、「プロデューサーへの愛」という自身の最も根本にある価値観が一瞬揺らいだことへの戸惑い(わからなくて……)が見られ、最終的に「あなたさま」に戻るのは、恋から醒めてしまうことへの恐れからくる防衛本能によるものではないだろうか。私は、一瞬ここで垣間見えた「揺らぎ」が今後大きくなっていくのではないかと思う。要するに、凛世はこれから、プロデューサーへの恋心という甘い夢から醒める、というのがキャラクターとしてのテーマになっていくのではないだろうか。

 

 ただ強調しておきたいのは、ドラマと同じく、凛世がこれから辿り着くかもしれないこの結末も、決してバッドエンドではない。少女βには、少女αが持つ「あ」は発することができないが、博士の死の間際の言葉が「あいたい」と聞こえたように、凛世のプロデューサーへの強い想いそのものが消えることはない。少女βだけが残った凛世は、恋人としてではなく、今度はアイドルとして、プロデューサーの心を動かしたいと強く願い、さらに羽ばたいていくはずだ。

 まとめると、他のアイドルがプロデューサーと「信頼→愛情」という手順で関係性を築くなら、凛世は「愛情→信頼」という逆のルートを辿っていくのではないかと私は考える。最新のPSSRであるカルメンのコミュも、プロデューサーと離れることを凛世が受け入れることが主題であった。きっと今回のGRAD編も、今後の凛世の物語の方向性を示唆する重要なストーリーになっていることだろう。

 これからシャニマスが長く続けば、果たして私の考察が正しいのか判明する上、杜野凛世の活躍と成長をもっと見られるはずである。そうなることを強く願って、この文章を閉じたい。

 

 

※凛世5周目PSSR【われにかへれ】の記事はこちら。

shirazu41.hatenablog.com

 

※凛世6周目PSSR【ロー・ポジション】の記事はこちら。

shirazu41.hatenablog.com